映画日記
2012年
 
  2012年12月23日(日)      宇都宮     最高気温7.4℃      
 ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を見てきた。
 本当に見て良かったと思う感動の映画だった。
 ビクトル・ユーゴーの小説を原作とし世界中でミュージカル上演されている作品の映画版だ。
 子供の頃、「ああ〜無情」とか「ジャン・バルジャン物語」とか本で読んだ記憶がある。
 薄れた記憶では、ジャン・バルジャンは無実の罪で投獄させられたが、脱獄する。
 そして警察に追われながらも困った人々を助けていく物語というイメージだった。
 今日、映画を見てこういう内容だったのかと、あらためて知った感じだ。 
 途中までは、私が知っていたレミゼラブルだったが後半は愛の物語だった。
 作品の中で描かれる「愛」とは、親子の愛、男女の愛、仲間の愛、そして人間愛。
 オープニング映像は、降りしきる雨や、荒れ狂う波、嵐の中で大きく傾いた帆船のショットから
 はじまる。数え切れないほど多くの服役囚たちが帆船に伸びた綱を引いている。
 奴隷として一生、暮らすのかと嘆く服役囚たちの歌声。 迫力ある画面から始まった。
 彼らの過酷な環境が一瞬で分かる。「レ・ミゼラブル」とは「みじめなる人々」という意味らしい。
 主演のジャン・バルジャンの役はヒュー・ジャックマン。
 薄幸の女性、ファンティーヌにはアン・ハサウェイ。宿敵ジャベール警部は、ラッセル・クロウ。 
 ヒュー・ジャックマンが映画の宣伝で、来日しテレビ出演をしていた。
 私が見た日本テレビの朝の番組「ZIP」で関根麻里と対談していた。
 大の日本びいきで、お寿司大好き!そして子供と一緒に富士山にも登ったとの事。
 気取らない性格で好感が持てた。
 この映画はアフレコではなく、実際に歌いながらの映画撮影だったとの事。
 かなり大変だったと話しをしていた。 だからこそ、歌声が心の叫びに聞こえ、
 その感情がダイレクトに伝わってきてよけい、心にひびいてきた。
 特にアン・ハサウェイが歌うシーンでは、胸が張り裂けそうな悲しみが伝わってきて
 こちらまでやり切れない思いになり、辛くなる程だった。
 資料より
 ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、極貧の姉の子供のためにパン1ヶを
 盗んだ罪で、投獄されて19年も刑務所にいたが、1815年に仮釈放されることに。。
 親切な老司教の家に泊めてもらったのに銀食器を盗むが、司教の慈悲に触れ改心する。
 1823年、工場主として成功を収め市長になった彼は、以前自分の工場で働いていて
 娘を養うため極貧生活を送るファンテーヌ(アン・ハサウェイ)と知り合い、幼い娘の
 面倒を見ると約束する。 そんなある日、バルジャン逮捕の知らせを耳にした彼は
 法廷で自分の正体を明かし再び追われることになってしまい……。
原作はビクトルーユゴーの大河小説。日本では「ああ無情」の題名で知られています。映画化も何本か作られいますが、リーアム・ニーソン主演の1997年版もなかなか良かったです。ただ出演者の感情表現の激しさや舞台設定のリアルティにおいて本作が圧倒しています。同じミュージカル映画の『オペラ座の怪人』と比べると、台詞優先で曲がつけられたことが仇となって、途中の楽曲がやや単調に聞こえます。それでも、前半の薄幸な出演者が歌うテーマ曲が歌われるとはやくも涙腺が緩みっぱなし。  圧倒的な高揚感に包まれるラストには、涙が止まりませんでした。稲垣吾郎が珍しく番組中で、ぜひ見にいってくださいと力説したぐらい、映画を見た満足感に浸れることでしょう。  背景にはフランス革命後でも拡大した貧富の差による格差社会が生み出す最下層の悲惨さがあります。それにしても描かれるそれは衝撃的。主人公のバルジャンが経営する工場を解雇されたファンテーヌは、病の娘を救うために、髪の毛を切って売り、歯を抜いて売り、それでも足りないと体まで売ってしまいます。身を削って金に換える残酷さは、まさに無情ですね。その果てに自らの薄幸さを呪い、悲しみを込めて歌い上げるテーマ曲には身につつまされました。底知れない暗さに救いをもたらしているのは、美しい旋律による音楽の力が、暗さのなかに光明をもたらしていると思います。  本作の一番の特徴は、映画なのにセリフがほとんど無く、歌だけで心情まで表すこと。その歌声もスタジオで事前に収録せず、撮影現場で実際に歌わせるという新たな手法に挑戦しています。その結果、舞台のように演技と歌が一体となり、感情が最大限に増幅されて、グッと観客のハートに迫ってきたのです。悲しさも悔しさも、爆発的に表現されることで、暗い物語で心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、一気に気持ちが浄化されました。ここに号泣の秘密があったわけですね。ミュージカルが苦手な方でも最初の2分で歌だけのやりとりに慣れることでしょう。ミュージカルならではの良さが、活かされていると思います。  「英国王のスピーチ」で名匠の仲間入りをしたトム・フーパー監督の手腕は、それだけではありません。映画ならではのリアリズムも忘れません。19世紀パリの町並みや、貧しい人々の汚れ具合が生々しいのです。  また、歌う役者の顔をクローズアップで捉え、細かな表情も漏らさず伝わってきます。セットと演技のリアルティの凄さが、楽曲の単調さを超えて、画面に釘付けとなる原動力を生み出していたのでした。  物語は、19世紀前半のフランス。パンを盗み19年間服役したジャン・バルジャンは、仮釈放中に姿を消し、逃亡中に生活に困り教会に盗みに入り、銀の燭台を手にします。けれども、司教はその罪を問わないどころか、燭台を差し出しすのです。司教の深い慈悲に、自己嫌悪したバルジャンは、生まれ変わって報恩の人生を歩むことを神に誓う訳なんですね。ここから囚人だったバルジャンの贖いの人生が始まります。彼がどういう風に変わっていくかが、このドラマの主軸となっていきました。  眉間に深いシワを寄せ、全身を捩るように悔恨の表情を全力で演じきるヒュー・ジャックマンの演技が素晴らしいというか、ドドッとずっしり重く感情移入させられました。  やがて逃亡したバルジャンは名前を変え工場経営者となり、市長に登り詰めていました。けれども運命の皮肉か、一方、牢獄にいた時代からバルジャンを知る警官ジャペールがバルジャンの街に赴任し、市長の下へ表敬訪問してくるのでした。  このとき前出のファンテーヌが解雇されたことを、社長のバルジャンは知りませんでした。彼女の最期をみとったバルジャンは、コゼットの親代わりになろうとします。コゼットとの初対面シーンは、バルジャンの慈愛がじわっと溢れて、感動しました。年少時のコゼットはとても愛らしかったです。  けれども自分の身代わりに捕まった人の知らせを聞いて、バルジャンは悩みます。正体を明かして刑に服すしたら、工場の使用人たちは路頭に迷うし、第一苦労して掴んだ今の立場が水の泡と消えます。しかし、決してバルジャンは神と約束した慈愛に生きることを裏切りませんでした。身を犠牲にしてでも、信仰を守り抜き、罪亡き人を救おうとする信念に、同じ信仰者として敬服させられました。  ジャペールの追及を間一髪かわし、バルジャンはコゼットともにパリへと逃亡を続けるのでした。  無念のジャペールは、正義を貫くことを歌い上げます。これまで悪役ぽく描かれることが多かったジャペールですが、本作では彼もまた神の正義の実現のために、バルジャンを追及してきたのでした。逮捕することが信仰の証だったのですね。ジャペールも信念の人として描かれるのが本作の特徴の一つと言えそうです。  後半は、パリで革命を志す学生たちが蜂起するシーンが舞台となります。そのうちのマリウスが、コゼットと恋仲になります。それを知ったバルジャンは、マリウスを連れ戻しに、彼等が立て籠もるバリケードに参加します。  そこにはスパイしようとして捕まっていたジャペールがいたのです。殺そうと思えば得れたはずなのに、あなたは職務で捕まえようとしたに過ぎないと、バルジャンは逃がしてしまいます。バルジャンの深い赦しの思いにこころ打たれました。それはジャペールも同じ思いでした。次第に彼のなかで、果たしてバルジャンは悪人なのだろうかという疑問がもたげ始めていたのです。  ついにバルジャンを追い込んだジャペールは、その疑問に苦悩し、逮捕できずに終わってしまいました。多くの作品でジャペールはすぐ投身自殺してしまいますが、本作ではジャペールの呻吟する思いをたっぷり描きます。ジャペールがなぜ死を選んだか、きっと納得されることでしょう。ジャペール役のラッセル・クロウも渋いいい演技でした。  ラストのコゼットとマリウスが仲睦まじく語り合うところを、淋しそうに見つめるバルジャンの姿に泣けました。自分の宝物のように愛してきた娘を、他の男にとられてしまうのは、切ないですね。(「96時間リベンジ」では笑えましたが(^^ゞ)  でも、バルジャンは、ふたりの将来に囚人の自分が災いとなったらいけないと、黙って立ち去るのです。  ひとり静かに帰天しようとするときの、バルジャンの台詞がまた素晴らしかったです。信仰を持たない人でも、バルジャンが掴み得た神への敬虔な思いは、きっと感動されることでしょう。  この物語は『悪人正機説』をずっと考え続けてきた自分にとって、悪人とはという問いを再び考えさせられる作品となりました。ジャペールが問いかけたように、バルジャンははたして悪人だったのでしょうか。いえいえ罪深い故に、救われきっかけを掴んだのではないでしょうか。そして、バルジャンは人々に希望と勇気を与えたのでした。  皆さんは善人なのかもしれません。でもどんな善人でも、生まれてこの方、誰かを悲しませたり、傷つけたりした言動はあるでしょう。問題は、それを忘れてしまっているだけ。しかし表面は忘れても、しっかり心の中で暴れています。

  2012年11月24日(土)       宇都宮   最高気温 11.9℃       
クリント・イーストウッドが出演の映画「人生の特等席」を見てきた。
「グラン・トリノ」以来、4年ぶりに主演した
映画だ。 監督をした映画はここ4、5年 毎年のように 多数、見てきた。
見逃した映画「ミリオンダラー・ベビー」は
テレビで見て、本当に感動した。
ほとんどの映画が感動したり、考えさせられる心に響く映画が多い。
今年82歳だが、頑固で口の悪いおじいさん役を 見事に演じていた。 ぴったりの役どころだ。
大きなスクリーンに映し出される顔は、やはり皺が 深く刻まれていて「年、とったな〜」と。。
映画資料より
法律事務所のパートナーになるべく日々、
激務に励む娘と、そろそろ引退を考えなければ
ならない名スカウトマンの父。
父は娘がキャリアを全うすることを望み、
娘も父の健康を心配するが、お互い心配
すればするほど空回りする親子関係。
気が進まないながらも、父の心配をし、
最後かもしれないスカウトの旅に無理やり
同行する娘。
 『ミリオンダラー・ベイビー』『硫黄島からの手紙』など俳優、監督として活躍している
 クリント・イーストウッドが、およそ4年ぶりに主演を務めた感動作。
 17年間イーストウッドからじかに映画制作を学んだロバート・ロレンツが監督を務め
 疎遠だった父娘が仕事を通して絆を取り戻していく様子を描き出す。
 まな娘を演じるのは『ザ・ファイター』のエイミー・アダムス。
 不器用な父親と長い間そんな彼を遠くに感じていた娘がたどる再生のドラマが胸を揺さぶる。
 心が通わない親子だが、お互いを思いやる気持ちが分かり、涙が。。
 最後は、どうなるんだろうと心配な展開だったが、素晴らしいハッピーエンドで終わった。
 後味のいい結末だった。 ちょっとうまく行き過ぎだよ〜と思ってしまう程だった。(笑)
 私は悲しい結末、悔しい結末の映画だと、家に帰っても何だかな〜と落ち着かず
 しばらく気分が良くないので、ハッピーエンドの結末が大歓迎なのだ。(笑)
 今年は、これで6本目の映画だが、3月以来の7ヶ月振りの映画鑑賞だった。
 そして12月21日に封切りの「レ・ミゼラブル」を見に行こうと主人と意見が一致した。
 あらすじ 資料より
メジャーリーグの老スカウトマン、ガス・ロベル。最高と言われた栄光も今は昔。 現在ではデータ重視のスカウト全盛で球団幹部には過去の遺物と考えるものもいる。 それでも引退をよしとしないガスは今日も注目の高校生スラッガーの力量を見極めるべく 試合のロードに。そんな時に彼の視力が急激な衰えを見せる。 球団の幹部で古くからの知り合いであるピートから心配され、ガスのロードに付き添うことを 決めたのは弁護士である娘のミッキーだった。 大きな仕事と昇進を控え、それでもミッキーは父に付きそう。ガスの代わりの目として。 その二人と出会ったのはかつてガスによってスカウトされピッチャーとして活躍したが 球団の酷使が仇となってトレード後引退ジョニー。彼も今は別球団のスカウトをやっていた。 意中のスラッガーはホームランを連発しジョニーや他のスカウトマンを色めき立たせていたが ガスだけは冷徹に見ていた。「奴はカーブが打てん」 やがて、ぎこちなかったジョニーとミッキーは惹かれ合い、ガスとミッキーも互いに分かり合っていく・・・ 法律事務所のパートナーになるべく日々激務に励む娘とそろそろ引退を考えなければならない名スカウトマンの父。 父は娘がキャリアを全うすることを望み、娘も父の健康を心配するが、お互い心配すればするほど空回りする親子関係。 気が進まないながらも、父の心配をし、最後かもしれないスカウトの旅に無理やり動向する娘。 最初は娘の手助けを拒んでも、野球に対する娘の確かな目を確認すると、自分の目になるように指示する父親。 ちょっと教科書的な展開とも思うが、とても落ち着いて見られるのだ。見ていて嫌な気持ちにならないという安心感が、何物にも代えがたい。

  2012年3月11日(日)    宇都宮    最高気温9.4℃     時々晴れ 
マーティン・スコセッシ監督の3D映画
「ヒューゴの不思議な発明」を見てきた。
3D映画は「アバター」の時以来、2作目だ。
画面が立体的に見えて面白かったが、
この映画に関しては3D映画で見なくても、 別に問題はないと思った。
先日、テレビで「アバター」を放送していたので
見ると、やはり映像の迫力さは映画館でみた
3Dには、かなわないと思った。
「ヒューゴの不思議な発明」の題の感じでは
家族連れが楽しめる映画なのかと 思っていたら全然違っていた。
物語の舞台は、1930年代のフランス。
父と2人暮らしだったヒューゴは、ゼンマイで
動く金属製の人形の修理を機械好きの父と
一緒に熱中していた。
仕事場で火事に巻き込まれて父親は亡くなり
孤児となってしまう。
ここから哀しいヒューゴの物語が始まる。
おもちゃ屋のおじいいさんの秘密は何?と
謎めいた言動に、画面に引きこまれる。
ヒューゴが走って逃げて、そして隠れるという状況が 何回もあって、危ない目に合うたびに
ハラハラドキドキ。
 ヒューゴ(エイサ・バターフィールド)のブルーの澄んだ瞳が本当に可愛かった。 
 ヒューゴと友達になった不思議な少女・イザベル(クロエ・グレース・モレッツ)と
 おもちゃ修理店の老人役のジョルジュ(ベン・キングズレー) もいい味を出してした。
 普通の映画なら私たちは、1000円なのだが3D映画は1400円。
 3D用のメガネは「アバター」の時は返さなくてはダメだったが、今回は持ち帰る事が出来た。
 次回の3D映画の時に使うと1300円で見る事が出来るシステムになっていた。
 「ヒューゴの不思議な発明」は3Dの吹き替え版、3Dの字幕版、普通の字幕版と
 3種類の中から選ぶのだが、私は400円高いが迷わず3Dの字幕版にした。
 「アバター」の時に3Dの映像に感動したからだ。
 これから3Dの映画は、ますます増えていき、技術の進歩も期待出来るから楽しみだな〜
  あらすじ 資料より
物語の舞台は、1930年代のフランス。 首都パリのリヨン駅にある時計台でただひとり隠れて暮らしている主人公ヒューゴ・カブレは、駅の各所にある時計のネジを巻きながら、駅で売られている商品を盗むことで生活を成り立たせている少年。 ある日、ヒューゴは駅内にあるおもちゃ屋で、ネジを巻くと走行するネズミ型のオモチャに目をつけます。 店番の老人が眠っているのを確認し、隙を見計らってネズミ型オモチャを奪取……できるはずだったのですが、老人は眠っているフリをしていただけで、ネズミ型オモチャに手を伸ばしたヒューゴの腕をあっさり掴んでしまいます。 盗みの現行犯を捕らえた老人は、ここぞとばかりに他に余罪がないかを確認すべく、ヒューゴの所持品検査を始めます。 「鉄道公安官を呼ぶぞ」と脅しつつ、ヒューゴのポケットから次々に所持品を出させて確認していく老人でしたが、ヒューゴが所持していた手帳の中身を確認したところで顔色が変わります。 ヒューゴはヒューゴで、他の物品には大した関心も持たなかったのに、その手帳だけは執拗に「返してくれ」と老人に迫ります。 ところが老人は、「この手帳はもう私の物だから私がどうしようと勝手だ、家に帰って燃やす」とヒューゴを追い払い、そのまま自宅への帰途についてしまいます。 手帳を諦められないヒューゴは老人を自宅まで追跡し、老人の同行を監視するのですが、そこでヒューゴは老人の関係者とおぼしきひとりの少女と出会います。 老人のことを「パパ・ジョルジュ」と呼ぶその少女は、手帳に執着するヒューゴを見て「パパ・ジョルジュと正面から粘り強く交渉すれば手帳は返してくれるはず」と忠告し、その場は「手帳は燃やされないように私が見張っておくから」とヒューゴを退散させるのでした。 ヒューゴがパパ・ジョルジュに奪われた手帳に固執するのには理由がありました。 件の手帳は、かつて時計店を営んでいたヒューゴの亡き父親が、とある博物館から手に入れた機械人形と共にヒューゴに残した形見だったのです。 ヒューゴの父親は、仕事をしていた博物館で火事に巻き込まれ帰らぬ人となり、その後ヒューゴは、親戚に当たるクロードおじさんに、自分に代わってリヨン駅の時計を管理するよう命じられ、現在に至るのでした。 そのクロードおじさんも今では行方知れずとなり、今や身よりもなく天涯孤独の身となってしまったヒューゴ。 そんなヒューゴにとって、父親が残してくれた機械人形と手帳は、父親の形見であると同時に心の拠りどころでもあるのでした。 手帳には、ヒューゴの父親が残した機械人形のことについて記されており、それがなくては機械人形の修理や起動に支障をきたしてしまうのです。 とはいっても起動については、手帳とは別にハート型の鍵が必要であることが既に判明していたりするのですが。 ともあれ翌日、ヒューゴは再びパパ・ジョルジュの店に姿を現し、手帳を返すよう再度頼み込むことになります。 ところがそれに対してパパ・ジョルジュがヒューゴに提示したのは、ハンカチに包まれた一握りの灰でした。 手帳が燃やされたと考えたヒューゴは、絶望のあまりその場から走り出してしまいます。 しかし、曲がり角を曲がろうとしたところでヒューゴは、昨日出会った少女と再び遭遇することになります。 少女は手帳が燃やされていないことをヒューゴに告げると、彼を図書館へと連れて行きます。 以後、ヒューゴはパパ・ジョルジュの養女でイザベルと名乗るその少女と共に、機械人形の謎と、手帳の奪取に奔走することとなるのですが……。
物語の序盤でヒューゴから手帳を奪い対立した「パパ・ジョルジュ」と呼ばれている老人には実は別に本名があったりします。 ヒューゴの父親が残した機械人形とイザベルの証言から分かるのですが、老人の本名はジョルジュ・メリエス。 実はこのジョルジュ・メリエスというのは架空の存在ではなく、かつて本当に実在していた人物で、映画の創世記に「世界最初の職業映画監督」として活躍した人物だったりするんですよね。 機械人形が作中で描いていた「月の右目に弾丸が直撃している絵」も、ジョルジュ・メリエスが製作した映画の代表作「月世界旅行」の有名な描写だったりしますし。 作中では、これらの事実からジョルジュ・メリエスの「挫折した過去の記憶」が披露され、そこから立ち直る過程が描かれることになります。

  2012年3月3日(土)    宇都宮    最高気温10.2℃    
スピルバーグ監督の「戦火の馬」を見てきた。
見て良かった〜と思えるいい映画だった。
動物好きな人にとっては感動の映画だ。
目が可愛くて利口な馬が大好きになった。
イギリスのまずしい農家で育ったアルバート。
その父親が姿の美しい馬を競り市でひと目見て 気に入り、高い値段で買ってきた。
ジョーイと名付けられた仔馬は、 愛情を一身に受けて、賢く気高い名馬へと成長していく。
足が長く美しいジョーイは農耕馬には 向いていないが借金返済のため農耕馬として働く事に。
少年アルバートは根気よく、農耕馬としての 仕事を教え、見事、荒れ地を農地に変えた。
過酷な労働に頑張るジョーイとアルバート。
ついにやり遂げた時、拍手! 感動の涙が。。
やがてイギリス対ドイツの戦争が始まり、 イギリス軍へ戦馬として売られてしまうジョーイ。
ここから、戦争が終わるまでの4年間、
ジョーイにとって過酷な出来事が待っていた。
馬の演技の素晴らしさと戦場の地獄のような映像は 目に焼き付いて離れない。
イギリスの片田舎の美しい田園風景と街並みは 行ってみたいと思う程、きれいだった。
 この映画は、映画館で見ないと、その迫力と醍醐味は味わえないと思った。
 主人が犬も可愛いけど、馬も可愛いねと言った。  
 映画を見に行く前に「この映画は泣くかな〜 ハンカチを持って行った方がいいかな」と
 私に聞いたので「泣きたい映画でも我慢して泣かないんじゃないの?」って冷やかしたけど。。
 主人が泣いたかどうかは、映画に集中していたので、分からなかったけどね。(笑)。
 利口で けなげで、切ないシーンの馬の目の演技には泣かされる。 
 最後までハラハラドキドキのシーンの連続だったけど、最後は感動の結末で終わった。
 本当にいい映画だった。
 イギリスのマイケル・モーパーゴ原作の児童小説を、スティーブン・スピルバーグが
 実写映画化した作品。
  あらすじ 資料より
物語最初の舞台は、第一次世界大戦前夜のイギリス・デヴォン州。 この地にある牧場?で、一匹のサラブレッドの子馬が生まれるところから物語が始まります。 子馬が生まれるまでの一部始終を遠巻きに見物していたアルバート・ナラコットは、子馬が母馬離れするまでの間、子馬と仲良くなろうとしますが、子馬はアルバートから逃げ母馬の後ろに隠れるばかりで上手くいきません。 やがて子馬は、地元の市場で競売にかけられることになったのですが、そこへアルバートの父親であるテッド・ナラコットが居合わせます。 元々は農耕馬を買うために市場へとやってきていたテッドでしたが、競売にかけられていた子馬に何か惹かれるものでもあったのか、テッドは貧しい家の家計事情も顧みず、大金をはたいて子馬を購入してしまいます。 農耕馬を買うと思っていた妻のローズ・ナラコットは、家計を傾けるレベルの大金を投じて農耕に向かないサラブレッドなどを買ってきたテッドに当然のごとく激怒し、土下座してでも馬を返品してカネを取り戻して来いとテッドに詰め寄ります。 しかし、元々子馬を持つことに憧れていた息子のアルバートが割って入り、「自分が農耕できるように調教する」と説得し、何とか子馬を手放すことは避けられたのでした。 アルバートは子馬にジョーイという名前を付け、その日からアルバートによるジョーイの調教の日々が始まるのでした。 ジョーイは最初、冒頭と全く同じようにアルバートを警戒し近づこうとすらしないのですが、やがてアルバートが差し出した餌をちゃんと食べるようになります。 また、フクロウの鳴き声を真似た口笛を吹くことで自分の所へやってくる芸を仕込み、これも最初は無反応だったのを、最終的にはマスターさせることに成功。 そして最後には、石ころだらけの荒地を鋤で耕す訓練を始めるようになり、「そんなことできるわけないだろ」と周囲からの嘲笑を買いながら悪戦苦闘を続けた末、ジョーイは遂に農耕馬として自分が使える存在であることを証明してみせたのでした。 そして、これらの調教は、ジョーイの今後の運命に大きな影響を与えることになるのです。 ジョーイの調教は充分以上の成果を上げることができたアルバートでしたが、彼の能力とは関係なくナラコット一家には破局の危機が迫っていました。 元々ジョーイを買うために大金を投じたことが響いた上、せっかくジョーイを使って荒地を開墾して作ったカブ畑も暴風雨で全滅するという不運に見舞われてしまい、地主であるライオンズに支払う地代が調達できなくなってしまったのです。 そんな折、世界ではオーストリア皇太子がセルビアのガヴリロ・プリンツィプによって暗殺されたことが発端となって第一次世界大戦(欧州大戦)が勃発、イギリスもまたドイツに宣戦布告し連合国側に立って参戦することになったのです。 これを好機と見たテッドは、息子にも内緒でジョーイをひそかに運び出し、軍に売り飛ばすことを画策するのでした。 事態に気づいたアルバートがただちに駆けつけるも時既に遅く、ジョーイは軍馬として取引されてしまった後でした。 悲嘆に暮れるアルバートでしたが、ジョーイを買い取ったイギリス騎兵隊所属のニコルズ大尉はアルバートに同情し、ジョーイの世話をきちんと行うことと、戦争が終わったら必ずジョーイをアルバートへ返すことを約束します。 それでもジョーイと一緒にいたいアルバートは軍に志願しようとしますが、年齢制限を理由に拒絶されてしまいます。 しかたなくアルバートは、かつて父親が戦争に参加した際に所持していたという小さな軍旗?をジョーイの手綱に結びつけ、ジョーイと袂を分かつこととなるのでした。 ニコルズ大尉と共にフランスの戦場へと向かうことになったジョーイは、その初陣とも言える戦いで、ドイツ軍歩兵600に対し300の騎兵隊で突撃奇襲をかける作戦に従軍することになります。 しかし、この作戦は最初効果を上げたかと思われたのですが、森に避難したドイツ軍が隠していた大量の機関銃による一斉射撃であっさり形勢逆転、逆にイギリス軍の方が壊滅してしまい、ニコルズ大尉も戦死してしまうのでした。 ジョーイは他の馬達と共にドイツ軍によって捕らえられ、以後、自分と同じ境遇のトップソーンという黒馬と共にドイツ軍の負傷者輸送用の馬として使われることになるのですが……。 アルバートが青年になり軍人として戦場に行き、そこでひん死のジョーイと会う事になる。 目を負傷(毒ガスのため)していたアルバートの吹くフクロウの鳴き声を真似た口笛を覚えていたジョーイが 近寄ってくるシーンには泣かされた。 ジョーイは射殺される直前に助かり、アルバートと一緒に両親の待つ農場に帰る。

  2012年2月18日(土)    宇都宮    最高気温3.7℃    
アカデミー賞の「作品賞」にノミネートされた
映画「ものすごくうるさくてありえないほど近い」を
見てきた。 心うつ映画だった。
2001年9月11日の同時多発テロ事件で父親を
亡くした9歳の少年オスカーが、その悲しみを
受け入れ、乗り越えていく姿を描いた映画だ。
ある日突然、最愛の人を失ってしまった人々は、
その悲しみをどう乗り越えていけばいいのか?
日本でも東日本震災で、突然の別れを経験をした人は 今でも辛い生活を送っているのではと思う。
主人公を演じたトーマス・ホーンは、アメリカの
人気クイズ番組「ジェパディ!」に出演していたところを 見出され、オスカー役に抜擢されたらしい。
失った親族への悲しみ、喪失感は計り知れない。
本当に難しい役を、完璧な演技で圧倒された。
始めての映画出演とは思えない素晴らしい演技。
父親との突然の別れを納得出来ない息子役。
抜群の頭の良さ、賢すぎるがゆえに、
色々な思いから逃れられず苦しみ続ける子供。
感受性が強く繊細なあまり、相手を傷つける言葉を
強い口調で攻撃する場面も。。
 愛する夫を失い、息子と共に残された母親役を、静かにその悲しみを演じた
 サンドラ・ブロックの演技にも泣かされた。
 息子から浴びせかけられる厳しい言葉にも動じず、耐える。ある意味、強い母親。
 あえてオスカーのやりたいようにさせ、成長することで乗り越えさせようとする母親。
 そして助演男優賞にノミネートされた話す事の出来ない失語症の老人役の
 マックス・フォン・シドー。  オスカーとは紙に書いて会話するという役だ。
 見た事がある俳優さんと云う感じで名前も知らなかったが、いい雰囲気をかもしだしていた。
 今年のアカデミー作品賞は見てみたい映画ばかり。。
 「ヒューゴの不思議な世界」「戦火の馬」「心がつなぐストーリー」「ファミリーツリー」。
 主人がアカデミー賞にノミネートされた映画をテレビで取り上げた番組を見たらしく
 興味を持っているみたいなので、何本かは見に行く事が出来ると思う。 楽しみだな〜〜
 資料より
9・11アメリカ同時多発テロで父を亡くした9歳の少年オスカーは、あれから1年が経とうとするのに、 どうしても父の突然の死を受け入れることができない。ある日、そのままになっていた父のクローゼットで、 "ブラック"と書かれた封筒に1つのカギを見つける。彼はそこに父からの最後のメッセージがあると信じて、 そのカギに合う"カギ穴"を探す旅を開始する。人と触れ合うことが苦手なオスカーだったが、父との思い出を 勇気に変えて、ニューヨークに住む全472人の"ブラック"さんをひとりひとり訪ねていく。果たして、 オスカーはカギ穴の向こうにある真実へとたどり着けるのだろうか……。
あらすじ
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で亡くなった父親が残した鍵の謎を追い、ニューヨーク中を駆け巡る息子オスカーと彼に関わる人々を描いた感動の物語。 原作は、2005年にアメリカ人作家ジョナサン・サフラン・フォアが出した小説「Extremely Loud and Incredibly Close(この日本語訳が今作のタイトル)」とのこと。 2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件。 物語は、同事件のワールド・トレード・センター(WTC)への飛行機特攻テロに巻き込まれ犠牲となった、今作の主人公オスカー・シェルの父親で宝石商だったトーマス・シェルの葬儀の場面から始まります。 WTCの倒壊により遺体の回収すらもできなかったトーマスの葬儀は、当然のことながら空の棺で行われることになったのですが、父親を尊敬し親子関係として以上に慕っていたオスカーは、そのような葬儀を行った母親リンダ・シェルに対し「そんなことをして何の意味があるんだ!」と怒りをぶつけまくります。 トーマスはオスカーの繊細で人見知りな性格を是正させることをひとつの目的に、「調査探検」と呼ばれるゲームを行わせていました。 それは、ニューヨークにかつて存在したという第6区がどこにあるのか探すというもの。 オスカーがこのゲームを遂行するためには、街の見知らぬ人達に聞き込みなどを行わなければならず、父親はそれで人見知りの性格が是正できると考えたわけです。 しかし、その「調査探検」の最中、父親は仕事の取引でたまたま居合わせていたWTCで同時多発テロ事件に巻き込まれ、帰らぬ人となってしまいます。 事件から月日が経ってもなお、父親の死を素直に受け入れられないオスカーは、ある日、テロ事件以来入ることが出来なかった父親の部屋へ入り、父親との思い出の品がないか探し始めます。 そしてクローゼットを調べていた際、クローゼットの上に置かれていた青い花瓶を落として割ってしまいます。 ところが、粉々に割れてしまった青い花瓶の中から古い封筒が出てきたのです。 封筒の中にはひとつの鍵が入っており、これは「調査探検」における父親からの何かのメッセージなのではないかとオスカーは考えます。 鍵屋で件の鍵について調べてもらったところ、鍵は貸金庫などで使われていた、20〜30年近くも前のものであることが判明。 鍵の調査結果を知り、店から去ろうとするオスカーでしたが、店主はオスカーを呼び止め、封筒の左上に「black」の5文字があることを指摘します。 改めて店主に礼を述べ、今度こそ自宅へと帰ったオスカーは、「black」が人名であろうと考え、ニューヨーク市中のブラック姓の人をしらみ潰しに探し出すことを決意します。 ニューヨーク市内でブラック姓を持つ人は、総計実に472人。 オスカーはその全員と会い、父親と鍵のことについて尋ね回る計画を考え、実行に移すこととなるのですが……。 アメリカの同時多発テロ事件を扱った映画作品としては、2004年公開映画「華氏911」、2006年公開映画「ユナイテッド93」「ワールド・トレード・センター」などが挙げられます。 「華氏911」は事件における当時のブッシュ政権に対する批判的な内容で、「ユナイテッド93」はハイジャックされたユナイテッド航空93便を、「ワールド・トレード・センター」はWTCの現場における救助隊の視点で、それぞれ構成されている作品です。 この中で私が観賞した映画は「ワールド・トレード・センター」ですね。 物語序盤でWTC崩落に巻き込まれ、瓦礫の中に閉じ込められた主人公含めた救助隊員達が、一部は生命を落としつつも、終盤に助けられるまで互いに励ましあいながら苦難を乗り切るという話でしたが、ドラマ性よりもむしろそのあまりにも地味な構成で逆に印象に残った作品でした。 そして、同じ事件を扱った作品としてこれらの映画と肩を並べることになる今作「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は、テロ事件で犠牲となった被害者の家族にスポットを当てているわけです。 過去の3作品が全て実話を元に製作されたノンフィクションであるのに対し、今作は実在の事件をベースにしつつも、物語そのものはあくまでもフィクション上のエピソードで構成されています。 実話を元にしているが故に実話に束縛されざるをえなかった過去作ではなかなか取り入れられなかった「フィクションならではの人間ドラマ性」を積極的に活用しているという点では、今作がダントツのトップではあるでしょうね。 映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」では、実の親として以上の尊敬の念を父親トーマスに対して抱いていた息子オスカーが、父親の残滓を追い、記憶に残すために奔走する様が描かれています。 オスカーがそのような方向へと突き進む理由としては、父親が自分に残してくれた謎なりメッセージなりを見たいという好奇心も当然あったでしょうが、それ以上に「好きだった父親のことを忘れてしまうことに対する恐怖心」があることが、オスカー自身のモノローグで語られています。 しかし物語が進んでくると、オスカー曰く「最悪の日」こと同時多発テロ勃発の日におけるオスカー自身の行動が「父親に対する原罪的な負い目」になっており、それが彼を「調査探検」にのめりこませていることが分かってきます。 あの日、オスカーの自宅には、WTCの106階にいたらしい父親から総計6回の電話がかかっており、自宅には誰もおらず5回までは自動的に留守電となってしまいます。 しかし最後の午前10時27分着信となる6回目は、テロ事件の影響で授業が全て中止となり学校から早退させられ帰宅していたオスカーが電話を取ることが充分に可能だったにもかかわらず、彼は恐怖心のためか、その電話を取ることができませんでした。 結果、父親は再び留守電に切り替わった電話に最後のメッセージを入れ、その直後にWTCが崩壊してしまったんですね。 つまり、オスカーは父親の最期の瞬間に電話越しで立ち会っていながら、父親と最期の会話を交わすチャンスを自分から永遠に捨て去ってしまったわけです。 これがただでさえ繊細な上に父親のことを誰よりも慕っていたであろう少年にとって、相当なまでの精神的ショックとなったであろうことは想像に難くありません。 オスカーが「調査探検」に必死になっていたのは、父親に対する彼なりの贖罪意識と後悔も多大にあったのではないかと。 そして一方、空の棺で父親の葬儀を行った母親リンダに対しては少なからぬ反感と隔意を抱いており、特に物語序盤では母親に当り散らしたり、母親を邪険にする態度がとにかく前面に出ていたりします。 リンダも母親として息子のことを案じてはいるのですが、オスカーはそのような母親の言動に不快感を覚え衝突するばかりで、挙句の果てには本人の目の前で「ママがあのビルの中にいれば良かったのに!」とまで言い放つ始末。 この辺りの描写は、息子がそう言いたくなった心情および言った後に後悔する心理も、そう言われた母親のショックも、どちらも目に見えて分かるようになっているだけに、どうにもやるせないものがありましたね。 しかも「間借り人」と呼ばれる謎の老人が登場して以降になると、ただでさえ無気力感に満ちている母親はますます影が薄い存在となってしまいますし。 しかし、序盤から中盤におけるこの手の母子のギスギスしたやり取りや演出は、実はラストに向けての大いなる伏線でもあったりします。 このラストにおける一種の大どんでん返しは、ただそれだけでこの作品を傑作たらしめると言っても過言ではないくらいの威力を誇っています。 現実にも充分に起こりえることで、それでいて間違いなく子供が親の愛情を感じ取ることが出来るエピソード。 これこそが、この作品が観客に声を大にして訴えたかったことなのであろう、とすらついつい考えてしまったものでした。 今作はテーマがテーマということもあり、アクション映画のような派手さや爽快感などは皆無ですが、人間ドラマとしては充分に見応えのある作品です。 主要登場人物全てに何らかの感情移入をすることが可能な構成にもなっていますし、特にラストの演出は多くの人が感動するであろう秀逸な出来に仕上がっています。

  2012年2月12日(日)    宇都宮    最高気温8.2℃    
話題の映画『ドラゴン・タトゥーの女』を見てきた。
見て良かったと思えるすご〜く面白い映画だった。
冒頭で流れる音楽は、これから始まるストーリーを 暗示させるような激しいものだった。
ミステリー好きな私は期待が高まった。
スウェーデン人作家スティーグ・ラーソンのミステリー 三部作の同名の第一作を基にした映画だとか。
舞台は冬のスウェーデン。
白銀の景色、澄みきった空気が何故か怖い。
衝撃的なシーンも多く、目をそむけたくなる事も。
天才ハッカーのヒロインを演じたルーニー・マーラ。
体あたりの演技でアカデミー賞主演女優賞に ノミネートされた。 受賞出来たらいいね。
小柄でガリガリに痩せた身体から発する雰囲気は
ミステリアス、そして狂気に満ちている。
生まれ育った環境に秘密があるようだが。。
天才的ハッカーなのだが、鼻ピアス、眉毛ピアス。 肩から背中にドラゴンのタトゥーが彫られている。
見た目も危険だが、見かけで人は判断できない。
頭脳明晰、調査能力抜群! 才能あり優秀。
怖いけど、魅力的な女性に描かれていた。
 ジャーナリストのミカエル役を演じていたダニエル・クレイグも、渋くてかっこよかった。
 『007』シリーズに出ている俳優だよと主人は言っていた。 詳しいね。
 ヒロインのリスベットにとっては、ちょっと切ないラストシーンだったが、
 そう世の中はうまくいかないよねと。。
 物語と分かっていても、不幸な生い立ちのリスベッには頑張って生きていって欲しいと
 応援したい気持ちになっていた。
 犯人が分かったから、これで映画は終わりと思っていたら、とんでもない。
 怒涛の展開が待っていた。
 圧倒され、ノックアウトされたような幕切れで、しばらく席を立てなかった。
 この小説は3部作なので、続編があるかもと言われているので、楽しみだ。
 映画を見ても、あまり誉めたりしない主人だが、この映画は面白いとの感想だった。
  資料より
月刊誌「ミレニアム」で大物実業家の不正行為を暴いたジャーナリストのミカエル(ダニエル・クレイグ)。そんな彼のもとに、ある大財閥会長から40年前に起こった兄の孫娘失踪(しっそう)事件の調査依頼が舞い込む。 連続猟奇殺人事件が失踪(しっそう)にかかわっていると察知したミカエルは、天才ハッカー、リスベット(ルーニー・マーラ)にリサーチ協力を求める。 スウェーデンを揺るがせた財界汚職事件の告発記事を書きながらも、名誉棄損で敗訴したミカエル・プロムクヴィスト(ダニエル・クレイグ)。 意気消沈の日々を送っていた彼のもとに、ある日、スウェーデン有数の財閥ヴァンゲルの元会長 ヘンリック・ヴァンゲル老人(クリストファー・プラマー)から家族史編纂の依頼が舞い込む。しかしそれは表向きで、 ヘンリックの真の目的は40年前に起きた親族の娘ハリエット失踪事件の真相究明だった。 40年前に一族が住む孤島から何の痕跡も残さずに消えた少女ハリエット。 ヴァンゲルは彼女が一族の誰かに殺害されたと信じていた。依頼を受けて調査を開始したミカエルは、 成功の裏に隠された一族の血塗られた過去に気づいたものの、手掛かりが掴めずにいた。 すると、一族の弁護士から天才的な資料収集能力の持ち主として、ある人物を紹介される。 リスベット・サランデル(ルーニー・マーラー)という名の、顔色が悪くガリガリにやせた女だった。 小柄なリスベットは、肩口から背中にかけて、異彩を放つ龍の刺青が彫られていた 。そして意外なことに、彼女はこの事件に異様な関心を示す。やがて彼女は、 ハリエットの日記に記された聖書にまつわる数字が、ロシアの国境付近で未解決のままとなっている 連続猟奇殺人事件と関連があることを突き止めるのだが……。
--------------------------------------------------------------------------------
サスペンスあり、恋愛あり、社会的テーマありと色々な要素が入った映画に仕上がっています。 終わりが切なく、リスベットがこれから人間不信に一層はいりこみそうで残念だが、これから第二作を予感じさせる。。推理サスペンスであり一度味わう解決と、最後に展開する意外さで2度楽しめました。R15は本物です。  先ずはリスベット。不気味さを漂わせ、人を近づけません。ジャンクフードを食べ、挨拶もできず、見た目も危険だが、才能あり優秀。見かけで人は判断できず、愛よりも性欲タイプ。その彼女がミカエルに協力、ついにミカエルを好きになってしまい恋する女として彼を助ける。しかし、最後には彼に振られる。人間不信からの脱却も遠のきました・・・・。  ストーリーは聖書と猟奇殺人。何人もの候補者がでるなか、写真と証言で犯人を追い詰めていく。 金持ちの精神構造のいびつさ、家族・親族の異常な関係から、刑事コロンボ風に犯人発見までつながっていく。 犯人発見、危機脱出、ハリエット発見と次々とひきつけられる。 勘のよい視聴者はいつ、犯人とハリエットに気づくか試されるとよい。  ミカエルは良い味をだしている。共同経営者ライトとの不倫、リスベットとのベット。 粘り強い調査と勘のよさ。X1ながら仕事もでき、プライベートも充実、娘とも良好。中年男性のあこがれ?。  宗教の色もでてきて神秘さもでている。色々なものが詰まった秀作。年初からよい作品を見れよかったと思う。 --------------------------------------------------------------------------------
物語は、謎の老人の元に、年1回必ず送られてくるという謎の郵送物?に対し、呪詛に満ちた呟きをこぼすところから始まります。 そこから物語は一旦中断し、今時の映画では珍しいオープニングテーマに入るのですが、予告編でも流れていたものでありながら、改めて聴いてもこの音楽はなかなか良いものでしたね。 オープニングテーマが終了した後、物語のスポットは、今作の主人公のひとりであるミカエル・ブルムクヴィストに当てられます。 彼は、月刊誌「ミレニアム」の敏腕ジャーナリスト兼発行責任者兼共同経営者で、スウェーデンの大物実業家のハンス=エリック・ヴェンネルストレムの不正を暴露する記事を書いたものの、そのことで逆に名誉毀損で訴えられた挙句、裁判で有罪判決を受けてしまい、それまでの貯蓄全てを失うレベルの賠償金の支払いまで課せられるという事態に陥っていました。 彼の敗訴と、不正を書かれたヴェンネルストレムによる報復的な圧力によって、月刊誌「 ミレニアム」は大きな危機に直面していました。 敗訴のショックもあり、また「ミレニアム」に負担をかけないようにする配慮も手伝って、雑誌の編集長であるエリカ・ベルジェに一線を引くことを告げるミカエル。 ここで2人は妙に親しげかつ肉体的な接触も含めたスキンシップ行為を行い、この2人がただならぬ関係にあることが観客に明示されます。 そんな彼の元に、冒頭に登場した老人、大財閥ヴァンゲル・グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲルと、ヘンリックの顧問弁護士であるディルク・フルーデから、スウェーデンのヘーデスタまで来て欲しいとの連絡を受けます。 不審に思いながらもヘーデスタへとやって来たミカエルは、そこで表向きはヘンリックの評伝を書くという名分で、40年前に起こった親族のハリエット・ヴァンデルの失踪事件について調査して欲しいと依頼されることになります。 初めは嫌な顔をするミカエルですが、ヘンリックはミカエルに対し「ミレニアム」にいた当時の給与の2倍の金を毎月支給する、成功すれば4倍出すという金銭的な優遇条件を提示し、さらにミカエルを失墜させる元凶となったヴェンネルストレムの不正の証拠をも提供すると持ちかけます。 ここまで言われてはミカエルもさすがに承諾せざるを得ず、かくしてミカエルの事件捜査が始まるのでした。 一方、ヘンリックはミカエルに失踪事件の洗い直しを依頼するのに先立ち、ミカエルの身辺調査をミルトン・セキュリティーに依頼していました。 それに応じてミカエルの身辺調査を実地で行い、彼の秘密の何から何まで把握し尽した人物が、今作のもうひとりの主人公であるリスベット・サランデル。 彼女は、鼻と眉にピアスを付け、左の肩から腰にかけてドラゴンのタトゥーを彫りこんでいる非常に変わった女性で、過去の経歴が理由で責任能力が認められない精神的不適応という診断を受けた挙句に後見者をつけられていたりします。 ある日、彼女が自身につけられた後見人であるホルゲル・パルムグレンの元へ帰ってみると、彼が自宅の部屋で倒れているのを発見。 彼はすぐさま病院に収容されるのですが、脳出血で半ば廃人同然の状態となってしまい、リスベットの後見人から外されてしまいます。 そして、新しくリスベットの後見人となったニルス・エリック・ビュルマンは、リスベットを精神異常者だと決めつけ、自身の権限にものを言わせて彼女の財産を全て自分で管理すると宣言します。 これに反発するリスベットでしたが、後見人であるビュルマンに逆らうことはできません。 そしてビュルマンは、その地位とカネを餌にしてリスベットに性的な要求まで行うようになるのですが……。 映画「ドラゴン・タトゥーの女」は、ストーリーのジャンル的には一応推理系ミステリーに属するはずなのですが、原作はともかく、すくなくとも今回の実写映画版ではその部分があまりにも描かれていない感じがありますね。 物語の中核を構成しているハリエットの失踪事件には当然容疑者がおり、重要人物であるはずの彼らは序盤で一通り紹介されてはいくのですが、しかし彼らは物語全体を通じて、真犯人を除きほとんど主人公2人と接点がないんですよね。 名前だけ紹介されたものの、初登場するのがようやく物語中盤頃、という人物までいましたし。 40年前の事件を扱っていることもあり、また既に故人となっている人物もいることから、事件当時の資料漁りがメインになっているという事情もあるにせよ、ロクに描写がないために容疑者の名前をマトモに覚えることすら困難を極めるありさまでした。 物語後半で判明した真犯人ですら、正体が分かるまでほとんど印象に残っていなかったくらいでしたし。 しかも序盤から中盤にかけては、どちらかと言えば主人公2人の軌跡を追っていくストーリーがメインで展開されていた上、2人が邂逅を果たすまでかなりの時間がかかることもあって、さらに容疑者達の存在はストーリーの流れから置き去りにされてしまっています。 真犯人が判明する後半になるとさすがに事件の全体像はおぼろげながらも見えてくるのですが、あまりにも真犯人以外の容疑者達の存在感も印象もなさ過ぎるというか……。 何と言うか、原作小説を予め読んでいるのが最初から前提の上でストーリーが展開されているようにすら見えますね、この映画って。 同じ原作未読のミステリーでも、映画「白夜行」や「麒麟の翼」などは、事件関係者達の存在感も相互関係も素直に理解できたものなのですけどねぇ……(-_-;;)。 一方で、主人公2人を取り巻く人間関係については、メインと言って良いくらい濃密に描かれていることもあって、かなり分かりやすい上にインパクトも多々ありますね。 中でも凶悪なまでに印象に残ったのは、リスベットに最初にカネを請求してきた際にはフェラチオを要求し、2度目はベットに縛り付けてアナルセックスまでやってのけ、当然のごとく逆襲されて惨めな敗残者にまで落ちぶれ果てたビュルマンですね。 彼は自業自得とはいえ、リスベットに強姦現場の動画をネタに脅迫された上、「私は強姦魔の豚野郎です」という刺青まで彫られてしまいましたし。 リスベットのみならず、映倫にまで挑戦状を叩きつけるかのごとき彼の「勇猛果敢な行為」は、ただそれだけで歴史に名を残せるものがあります(苦笑)。 まあリスベットの方も、ミカエル相手に騎乗位セックスを作中2度にわたって繰り広げ、しかもその内1回はモザイク付という、なかなかどうしてビュルマンと互角以上に渡り合えるだけの「戦歴」の持ち主ではあるのですが(爆)。 というかリスベットにヤられたミカエルも、エリカという別の女性と既に関係が深いのに、強引に押し倒された1回目以降も何故リスベットと肉体関係を持ち続けているのか、正直理解に苦しむところではあるのですが。 そのミカエルとエリカの関係も、世間一般では「不倫」と呼ばれる行為に該当する(エリカは既婚者で夫が生存している)わけで、この作品の登場人物は揃いも揃って、良くも悪くも倫理観という言葉とは全く無縁ですね。 今作は三部作の第一部とのことですから、当然人気と予算が許す範囲において第二部以降の続編も製作されることになるのでしょうが、この倫理観の崩壊っぷりもより強烈に反映され続けることになるのでしょうか。

  2012年1月28日(水)    宇都宮    最高気温4.7℃    
FBI初代長官のジョン・エドガー・フーバーを描いた映画
「J・エドガー」を見てきた。
主演は迫真の演技のレオナルド・ディカプリオ。
20代から亡くなるまで77歳までを演じる。
監督は81歳のクリント・イーストウッド。
クリント・イーストウッドの映画は数かぎりなく見てきたが、
毎回、期待を裏切らない素晴らしい映画だった。
あっという間の137分間だったが、何故かイマイチ
心に響いて来なかった。
ジョン・エドガー・フーバーという人物が性格というか
言動というか魅力的には思えなかったからなのか、
主人公に思い入れが出来ないのだ。
同じ思いは「ソーシャルネットワーク」でも感じた。
 「フェイスブック」を立ち上げたマーク・ザッカーバーグ、 実在の人物の物語だった。
頭も良く、やり手なのだが、性格的に好感を持てる人物には 思えなかったのだ。
2作品とも、映画としては優れていると思うのだが。。
最近、テレビ放映されたクリント・イーストウッド監督主演の 「目撃」と「ブラッド・ワーク」は、見ていてもワクワクするような 本当に面白い映画だった。
 映画館で見た映画は2011年は「ヒア・アフター」2010年は「インビクタス・負けざる者」
 2009年は「チェンジリング」 「グラン・トリノ」。 2007年は「硫黄島からの手紙」と
 封切られたクリント・イーストウッドが監督の映画は全て見ているのだが、全て主人公に
 思い入れが出来て、心に響いてくる映画だったのだが。。
 8人の大統領に仕えたジョン・エドガー・フーバー。
 犯罪を許さないという強い姿勢は、たいしたもの。 アメリカの捜査の基礎を作った人物。
 その功績は称賛に値するものだと思う。
  資料より
 近代的な科学捜査や膨大なデータベースを構築する一方で、大統領をはじめとする要人の
 秘密を掌握してファイル化することで、権力を維持した。
 イーストウッドの狙いは、フーバーが向き合った、禁酒法時代のギャングとの攻防や、
 リンドバーグ愛児誘拐事件、赤狩りなどの20世紀の事件を通して、米国近代史の光と闇を
 浮かび上がらせた。
 それが奇しくも、現代における正義の意味を検証することにつながる。
FBI初代長官のジョン・エドガー・フーバーは、70代になり回顧録を執筆する。 それは、20代で後にFBIとなる組織の長に就任し、50年近く強大な権力を保ちながら、アメリカの“正義”を偏執的に信じた孤独な人生だった…。 監督イーストウッドと俳優ディカプリオの初タッグで描くのは、権力者の功罪の物語だ。今も賛否が分かれる人物ジョン・エドガー・フーバー。 FBI初代長官だった彼は、近代的な科学捜査や膨大なデータベースを構築する一方で、 大統領をはじめとする要人の秘密を掌握してファイル化することで、権力を維持した。 フーバーが信じた正義や公安は、時に法を曲げることさえ厭わない狂信的なもの。この複雑な人物を、 ディカプリオが徹底した役作りで、不気味なほどに熱演する。時代を前後させ、老年のフーバーと、 若き日のフーバーを交互に見せる演出は、謎多き人物に、深く、冷徹に切り込む手法として興味深い。  実際、フーバーにはミステリアスな部分が多く、資料や証言でも真実は容易には見えてこない。 イーストウッドは、そのことを逆手に取り、謎を残しながら描くことで、観客それぞれの解釈に委ねた。  フーバーとはどういう人物なのか。鍵を握るのは、過保護な母親アニー・フーバー、 長年の個人秘書ヘレン、腹心の部下で私生活でも“パートナー”だったクライド・トルソンの3人だ。 同性愛や女装癖など、さまざまな噂があったフーバーだが、映画は、彼のスキャンダラスな秘密には 焦点を当てず、絶大な権力を手にした男の強いコンプレックスと、権力者ゆえの孤独をリンクさせた。 イーストウッド映画の特徴である、人物を黒々とした闇に置く撮影が、そのことをより強調し、深い渋みを与えている。  イーストウッドの狙いは、フーバーが向き合った、禁酒法時代のギャングとの攻防や、リンドバーグ愛児誘拐事件、赤狩りなどの20世紀の事件を通して、米国近代史の光と闇を浮かび上がらせること。それが奇しくも、現代における正義の意味を検証することにつながる。  フーバーが断行した正義とは、法を越えてまで自分を優位に置き、他者を抑圧する強引なものだった。それはかつて「許されざる者」でジーン・ハックマンが演じた、自分の正義を信じて町を牛耳る保安官の姿にピタリと重なる。そして、現代アメリカの強迫観念にも似た政治とも。市長の経験もあり、政治を知るイーストウッドは、国家の中枢にいた人物の複雑な輪郭をあぶり出すことで、米国が同じ過ちを繰り返してはならないとのメッセージを込めている。


保存ページに戻る      トップページに戻る