2013年7月の日記
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  2013年7月25日(木)    宇都宮       最高気温26.8℃     
 フェイスブックに子供たちの家族の様子が載っていた。
 貞治たち家族の近況は。。
 7月7日( フェイスブックの投稿文)
 先週、今週とサッカー大会が開催され、U6(幼稚園)の部に息子が参加しました。
 チーム成績は2勝4敗でしたが、皆、頑張った!
 息子も合計4点をGET! 猛暑の中、お疲れ様でした。
 7月23日
 今日は息子にとって初めてのお泊まり保育。
 ノリノリで出掛けました。一回り大きくなって帰ってくることを期待しています。

 上海は、日本より暑いみたいで40℃近い日が続いているみたいだが。。
 柑太はサッカーで頑張っている。  チームメンバーの写真は→ここ
 パパの貞治は少年野球チームに入っていてキャッチャーとして頑張っていた。
 その頃は、野球の方がサッカーより人気があったんだよね。(笑)
 幼稚園のお泊まり保育は、泣き虫になってしまう子もいるけど、柑太はきっと大丈夫だね。
 美映たち家族の近況は。。
 6月30日( フェイスブックの投稿文)
 今日は朝大の4歳の誕生日。
 朝大リクエストのいちごのケーキ、作りましたよー
 7月24日
 おとといから3連休のタイ。  我が家はホアヒンに。
 午前中は子連れでゴルフ、午後は近くのウォータースライダーのあるプールへ。
 1時間もしないうちに光汰朗が転んであごぱっくり!
 バンコクに戻り、な、なんと7針縫いました(ToT)
 Birthdayケーキ、美味しそうだね。
 光汰朗が転んで、7針も縫う怪我をしたと書いてあったのでビックリ〜
 写真を大きくして良く見ると、しかめつらで痛そうな顔をしているね。
 はなちゃんからコメント欄に書きこみがしてあった。 読んでみるとなんと!
 柑太も顎を切って8針も縫ったんだって。。 私が知る限り、顎を切った子供の話しを
 聞いた事がないけれど、以外と切りやすい場所なんだろうか?
 早く治って、プールで泳ぐ事が出来るようになりますように。。。

  2013年7月20日(土)    宇都宮       最高気温27.7℃     
きのう、ゴルフから帰ってきた主人が「分かったよ」と。。
私たち家族から云われていた主人の煙草のにおいの事だ。(笑)
3人でゴルフに出かけ、1人だけが喫煙者だったのだが、
もちろん、プレー中には吸っていない。
それなのに、一緒にカートに乗って移動している時煙草のにおいが
していたんだって。。 今、吸っていなくてもにおいがしてきたと。。
「トイレで煙草を吸っていたでしょ?」と煙草を吸わない私達家族に
主人は云われていたのだ。 「トイレなんかで吸わないよ」と答えていた。
その時の事を思い出したそうだ。
吸わない人は煙草のにおいに敏感だけど、吸っている人は、
煙草のにおいには慣れっこなので、分からないのだ。
 主人の禁煙記念日は2011年3月11日だ。 禁煙してもう2年以上が経っているんだね。
 煙草は、本人の身体にも良くないし、周りの人にも迷惑をかけてしまうのだから、
 もう一生、吸う事はないよと主人は言っている。 有難い事です。(笑)

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  2013年7月17日(水)    宇都宮       最高気温23.7℃      夕方から 
 今日は、びっくりする位の涼しい1日だった。
 夕方から降りだした雨が、夜になると本降りになり窓を開けておくと寒い位だった。
 こんな涼しい日が1日でもあると、元気になり、家事もやる気が出るよね。(笑)

 15日の祭日「海の日」に 3ヵ月振りに、東京へ行ってきた。
 東村山の庭の雑草が気になっていたが、梅雨明け後の気温があまりにも
 高過ぎて、草むしり中の熱中症が怖いので、延ばし延ばしになっていた。
 主人が早く行った方がいいよと言うので、覚悟を決めて行く事になった。
 15日の朝、5時半に目覚ましをかけ、6時過ぎに宇都宮を出発をした。
 朝は涼しい宇都宮なので、高速に入るまでは窓を開けての快適なドライブが。。
 朝早いせいか渋滞は、いっさいなしの1時間30分で、東村山に着いた。
 雨戸を開け、網戸にして空気の入れ替えをした後、前のkさん宅へ。。
 ご主人にお線香を上げ、元気そうなkさんの声を聞いて安心した。
 今日は、涼しいうちに草むしりを始めるのでと、早々に失礼してきた。
 前のkさんが氷が たっぷり入ったカシスジュースを届けてくれた。
 濃いめに入れたから、氷が溶けた頃に飲むと美味しいよと。。
 3月末に除草剤をまいておいたが、やはり防草マットのすき間から草が生えていた。
 家庭菜園でも使える除草剤だもの、そんなに強くないのだ。 仕方ないね。
 それでも昨年の7月の庭よりは、雑草が少ない。 3つのスーパーの袋に詰めた。
 今回は主人が、玄関付近の草むしりを、手伝ってくれたので助かった〜。
 かんかん照りで、汗が滝のように流れてきて、疲れはピークに。。
 部屋に入り、甘酸っぱいカシスジュースを飲んで、ひと息ついた。 
 ソファーに寝そべって、30分位休んだ。 元気が出てきたので、玄関前と
 家の前の道路の掃除をした。 これで外まわりの掃除は終わり。
 家の中は、思ったよりも汚れていなかったので、雑巾がけはしないで
 不用品の整理をする事にした。
 かなりの数の食器類を捨てているが、何でこんなにあるのと思う程ある。
 今日はコップ類などの硝子製品の整理と丼ものの器などを捨てる事にした。
 引き出物や、お返しにいただいたり、もちろん気に入って買った食器類もある。
 食器は重いので、3袋のスーパーの袋で止めておいた。
 プラスチック製品やフライパンや、鍋類などもスーパーの袋に詰めた。
 あとはもったないと捨てられなかった素敵な紙袋を、整理した。 
 東京に居ても暑いから早く帰ろうという主人の言葉に従って、4時間半の滞在で
 12時過ぎに東村山を出た。
 高速に乗るまでは少し渋滞していたが、その後は快適にドライブを楽しんだ。
 私は車の中から風景を見るのが大好きだ。
 青々とした田んぼと山々、のどかな風景に心が癒される。
 家に帰る途中にある ごみ清掃センターに寄り、車に積んだ東村山のゴミを捨てた。
 かなり疲れていたので、家に着くとシャワーで汗を流し、すぐ昼寝をした。
 ちなみに15日の東京の最高気温は35・1℃だった。 暑いはずだわ〜

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  2013年7月13日(土)    宇都宮       最高気温28.6℃     
 今日の宇都宮は連日の暑さが嘘のような30℃以下の涼しい1日だった。
 東京では35℃と、猛暑が続いているみたいだが。。
 7月6日、関東地方では、梅雨が開けたと気象庁より発表があった。 
 平年より15日早く、昨年より19日も早い梅雨明けとなった。
 そして7日は、初めて経験する ものすごい豪雨が降った。 ビデオは→ここ
 強風のため、よこなぐりの雨が降っていた。 こんな雨は見た事ないとビデオを撮った。
 30分位たって雨がやんだ。 何事もなかったような静かないつもの風景が。。
 宇都宮は雷が多い。 ここのところ、毎日のように雷が鳴っている。
 雨が、降ると涼しくなっていいのだが、激しい雷はちょっと怖い!。
 6月1日から7月5日までの宇都宮の最高気温を調べてみると、6月15日だけが
 30・6度で、後は25度前後の涼しい日が続いていたのだ。
 それなのに、梅雨明けの6日から連日の猛暑が始まった。
 6日から(34.7℃) (32.3℃) (33.2℃) (34.7℃) (34.7℃) (34.0℃) (33.4℃)と、
 12日まで暑い日が続いていた。 かろうじて35℃にはならないが、やっぱり猛暑だ。
 宇都宮は日中は暑くても夜の気温は下がり、7月に入っても最低気温は25度以下
 なので、夜は涼しいのが有難いかも。。
 もうひとつ有難い事に、マンションは鉄筋コンクリートのせいか、木造の建物よりも涼しい。
 そして北側の玄関を少し開けておくと、南側のベランダまで風が吹きぬけて、
 かなり涼しくなる。 昨年までは玄関の戸が閉まらないように筒状の物を置いていた。
 ドア用ストッパーが百円均一で売っているかもと思いつき、さっそく買いに行ってきた。
 たくさんのストッパーが売っていてびっくりした。 ゴム製なのでドアを傷つけない、
 使わない時は、ドアに磁石でくっつけておけるとの説明書きが気に入って
 買ってきた。 とっても百円には見えないスグレものと大満足〜。(笑)

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  2013年7月7日(日)    宇都宮       最高気温32.3℃     
 最近、見たい映画がないので、映画館には行かず、テレビ放映の洋画を見ているが。。
 今日、テレビ録画しておいたあの有名な日本の映画「二十四の瞳」を見た。
 日曜日の読売新聞に「おすすめシネマ」というコーナーがあって、来週一週間に
 テレビで放映される映画を紹介している。
 記者の目からみたおすすめ度が星★で採点してあるが、★★★★★が満点なのだ。
 この「二十四の瞳」は星5つの最高点。 星5つがついた映画は、記憶にない位だったので
 よほど、おすすめ映画なのかと思い、録画しておいた。
 でも、若い女性が12人の生徒とふれあって先生として成長していく映画なのかと、
 かってに思いこんでいた。 期待感がなかったので見るのは後まわしにしていた。
 見事 予想ははずれていた。 素晴らしい映画だった。
 物語は、昭和3年、のどかな小豆島の分教場にひとりの新任女性教師が赴任してきた
 ところから始まる。 封建的な時代背景もあるが、のんびりと暮す島の人々。
 今の時代とは、あきらかに違う。 お金はないけど、幸せな時代。
 そんな中、昭和恐慌や東北飢饉、満州事変・第一次上海事変と続く戦争が暗い影を。。
 戦争に行っても無事帰ってきて欲しいと願っていると発言した先生は「アカ」と
 思われても仕方ないと、校長から言葉を慎まないと警察に捕まってしまうと注意される。
 昭和9年春、戦時教育に憂いを持った先生は教え子の卒業とともに教職を辞する。
 昭和21年、船乗りの夫を戦争で、相次いで母親も末娘も亡くした先生は、生計を
 立て直すためにふたたび教壇に復帰する。
 第二次世界大戦の終結から7年後に発表された小説で、作者の壺井栄は、自身が
 戦時中を生きた者として、この戦争が一般庶民にもたらした数多くの苦難と悲劇を描いた。
 貧しさから波乱の人生を余儀なくされた者、家が没落し消息を絶った者、
 誰にも看取られる事なく病死した者、遠い海の向こうで戦死し2度と帰ってこない者、
 戦場で負傷し失明した者。 時代の傷を背負って大人になったいく子供たち。
 昔と今。 比べてもしょうがないけど、考えさせられる映画だった。
 そして星5つの評価は、なるほどと思える程、感動的な映画った。


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